かずみ☆マギカ好きのだらだら語りあと色々

魔法少女かずみ☆マギカが好きすぎて作っちゃった、俺の考察(笑)やら感想やらを垂れ流すブログ。ネタバレしてる話題もあるので気をつけてください。かずみ以外のことも話題にするかも。

アイ

2016/12/12 マギカシリーズコミックス

今月はマギカシリーズコミックスの日!! リンクはAMAZON。




ネタバレ注意っぽい感じで感想。




魔法少女まどか☆マギカ[魔獣編] 3巻

暁美ほむらは、時間遡行を繰り返し、同じ時間を、何度も何度も、何度も繰り返し続けてきた。

そんなことは、改めて言うまでもない、周知のこと。

作中で、彼女は、自分がまどかと乖離していく旨の発言をしていた。まどかはずっと中学二年生のままなのに対し、ほむらはループを繰り返せば繰り返すほど、体感時間が積み重なっていく。ループを繰り返す度に、経験と、記憶が積み重なっていく。

時間を巻き戻す度に、自分の記憶以外はリセットされる。だが、彼女自身はリセットされず、記憶を引き継ぎ、また繰り返す。

周囲が変わらないのに、自分だけが記憶を積み重ねていく。本来、ほむら自身が持っているはずの記憶・経験よりも多くのものを彼女は持ち続けている。

ループを繰り返す度に、ほむらの内面は周囲の環境と乖離していく。


ループを繰り返すにつれ、彼女を彼女たらしめていたのは、彼女の記憶しかなかったのではないかと思う。


改変後の世界で、かつてキュゥべえは言っていた。「それは証明できない」と。

彼女の経験が、彼女の願いが、彼女の想いが、本当であることを担保するのは、彼女の記憶しか無いのである。

まどかすら居なくなってしまった世界では、本当に、彼女自身の記憶しか無いのである。


魔獣編は、その記憶が、不確かなものになってしまうものであった。

無論、多くの人間は記憶を失ったら、不安になるものだとは思う。私自身は経験こそないものの、困ってしまうことは想像に難くない。とは言え、周囲の人達に色々教えてもらえたりもするだろう。


だが、ほむらは、改変された世界において、彼女を彼女たらしめているのは、記憶しか無いのである。仲間たちは居るとは言え、それはあくまで改変後の世界の人間であり、彼女の経験の大半を占める改変前の世界を担保してはくれないのである。


すっぱりと完全に消えてしまうなら、まだ問題もないだろうが。しかし、魔獣編では、彼女の記憶や、彼女の感情が、ジワジワとあやふやなものへと化していったのだ。

彼女を彼女たらしめていたものが、どんどんあやふやなものへと化していくのだ。

自分を支えてきたものが崩れ落ちていくことに、自分が自分でなくなっていくことに、彼女はどれほどの絶望に苛まれていただろうか。



作中の描写を見ると、おそらく、最初の選択は、当人にとって記憶がそこまで重要なものだとは思っていなかったのだろう。

それでも、そこまでの苦悩を経験した上で、それを乗り越えて、敢えて自ら捨てる決断をしたのである。

魔獣編は、まさしく、彼女のアイの話であったと、単行本でまとめて読んで改めて思った次第です。




と、そんなことを考えてしんみりしつつ。カバー裏を見るわけですが


……やっぱりカオスwwwwやめーやwww

割と台無ゲフンゲフン。

相変わらずだなwwwホントwwwハノカゲ氏がオリジナル作品描いたらきっとコメディパートは恐ろしいことになるんだろうなあwww

[新約]魔法少女おりこ☆マギカ sadness prayer 3巻

美国織莉子は救世を成し遂げるために動いている。

それは、別の世界線である別編であっても同様で、彼女たちがワルプルギスへと立ち向かっていく様子が描かれています。新約での相手はおそらくクリームヒルトなのでしょう。相手に関わらず、世界に災厄をもたらす存在に対して、まあ手段は置いといて、立ち向かっていくこと。それが彼女たち……というか美国織莉子の行動原理なのだと思います。


3巻分では、彼女たちが苦悩する描写が多く見られます。もちろん1巻2巻でもありましたが、話が進んできたせいか、19話に至っては半分以上も織莉子の苦悩するシーンで構成されます。

そして、あえて言うまでも無いでしょうが、彼女の回想シーンや苦悩するシーンの大半は、彼女の幼少期に関係があります。

彼女の幼少期が、彼女に多大な影響を与えた――


――というよりも、彼女の本質が幼少期のままである、のではないかと思います。


こう言ってしまうと幼稚であるかのように聞こえますが、彼女は小さいころから非常に大人びたメンタリティをもっているような描写があります。そして、そのきっかけは、14話冒頭で描かれたエピソードなのでしょう。

その時のメンタリティのまま、身体的には成長しても、精神面は変化していないのではないかと思います。

根拠は二つ。キリカが「本当の織莉子」と言ったシーン。直前に、幼少期の織莉子が描かれています。もうひとつは一人称「わたし」。別編では漢字で「私」だった一人称が新約ではひらがなで「わたし」になっていることです。漢字からひらがなに変えたのは、メンタリティが幼少期のものであることを暗示しているのではないかと思います。


そして、その幼少期のメンタルに多大な影響を与えたのは、あえて言うまでもなく、両親、と言うか、大半は父親でしょうね。

一般論として考えても両親の影響が大きいのは当然ですし、回想シーンの内容からしても、そう考えるのが自然です。


そうすると、一つ疑問が浮かびます。

「救世」です。

ここまできたら、彼女が救世を求めるのも、父親の影響であろうと思えます。


がしかし、彼女の父は、あくまで市政レベルに目を向けていたように思えます。描写されている限りでは、県政なり国政なりに打って出ようとしてはいなかったように見えます。

織莉子もそれを肯定的に思っているようです。


それならばなぜ、織莉子は、身の回りのレベルをすっ飛ばして、「この世界のため」と大きなスケールを求めているのか、という点が疑問に思えてきます。

彼女のメンタリティは両親の影響を多大に受けているはず。しかし、両親はそんなスケールの話をしている様子は、現状描写されていない。



ちゅーわけでー、あの手帳はなんかそのへんに絡んでくる説ー!!

……具体的にどういう内容かはサッパリ想像付きません(笑)


まあ、若干飛躍した考察な気はしているんですけど。旧約の展開考えると、無くはないかなあと思うわけでして。

キリカの敵意を考えると、とんでもないこと書いてあるんだろうけど……怖えなあ
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